モザンビークの雨季は、「雨」と「暑さ」のサンドイッチ。
体調を崩しやすい時期です。
雨で蚊が発生しやすいので、マラリア予防は大切です。
さて、今回は子どもの貧困について書かれた本の書評です。
この本は、NHKのディレクターが子どもの貧困現場を描いた内容の書籍。
子どもの貧困、日本でその問題が明るみになってきたのは、数年前だったと思う。
昔のことだが、僕が日本へ一時帰国した際に、TVで「子どもの餓死」「戸籍のない子ども」というニュースが流れていた。
日本にも貧困が存在することは何となく知っていたが、子どもに焦点を合わした貧困、ということは考えたことが無かった。
親が貧しければ子も貧しい生活を送る。
貧しいとは、どういうことか。
学校に通えない、栄養を十分に摂取できない、生活必需品が買えない。
できないことが圧倒的に増えることが、貧困だ。
可能性を模索する青年期に、可能性を制限された子どもたち。
そんな子どもたちが、日本に存在する。
厚生労働省の調査によると、2012年時点で、子どもの貧困率は16.3%。
つまり、6人に1人の子どもは、貧困状態にあるのが、今の日本の現状だ。
貧困には大きく分けて2種類ある。絶対的貧困と相対的貧困だ。
相対的貧困(Relative Poverty): 生活水準が他と比べて低い層または個人
絶対的貧困(Absolute Poverty): 生活水準が絶対的な意味で低い層または個人
日本は世界的に見ると裕福な国なので、絶対的貧困に陥る人は少ない。
が、相対的貧困、日本人の間の格差に焦点を合わせると、相対的貧困層は意外と多い。
先ほど紹介した子どもの貧困率は、相対的貧困のことだ。
つまり、日本の中で最低限の生活を送れていない状況の子どもが、6人に1人いる、そういうことだ。
この本は、日本で現実に起こっている子どもの貧困問題について、当事者とのインタビューを踏まえて論じている。
この問題に目を向けるか否かは人次第だ。
僕はまず、知っておこうと思った。アクションに移せるかどうかは、興味を持つことから始まる。
本書は、下記のように構成されている。
はじめに 第1章:「子どもの貧困」対策の最前線 ー NPOによる生活保護世帯向け学習支援 第2章: 奪われる日常生活 ー 車上生活を強いられた中学生 第3章:いつまでも自立できない ー 母親を失ってひきこもった19歳 第4章:貧困から抜け出せない ー ホームレスだった25歳 第5章:学校現場の限界 ー教員へのアンケートから 第6章:始まった教育と福祉の連携 ー スクールソーシャルワーカーの取り組み |
この中から、いくつか気になった章の感想を書いていく。
- 1. 「子どもの貧困」対策の最前線
- 2. 奪われる日常生活 ー 車上生活を強いられた中学生
- 3. 学校現場の限界 ー教員へのアンケートから
- 4. 始まった教育と福祉の連携 ー スクールソーシャルワーカーの取り組み
- 5. 終わりに
1. 「子どもの貧困」対策の最前線
生活保護世帯向けの学習支援事業を行うNPOがある。
この事業は、
・親が貧しい→子どもの学習環境を整えてあげれない→子どもの学力低下
という、相対的貧困層が直面する問題を、学習場の提供を通じて改善を図ろうとする事業だ。
この本で紹介されている団体では、大学生(教員を目指す学生)ボランティアが子どもたちに勉強を教えている。
彼らはただ勉強を教えているのではなく、子どもたちの精神サポートの役割も果たしている。
生活保護の受給家庭は、様々な背景がある。
学習支援教室に通っている子どもたちには、例として以下のような特徴があるという。
・ひとり親世帯
・親が離婚
・親が何らかの障害
・親からの虐待やネグレクト(育児放棄)
不登校となった子どもも多く、人と接するのが苦手な子どももいる。
そんな彼らが学習支援教室に来ることは、それだけで大きな出来事だ。
学生ボランティアは勉強を強要せず、子どもを受け入れ、温かく見守る。
学生の内にこのような現場に立つ人たちを、僕は尊敬する。
将来教員となった時に直面する問題→貧困家庭の子どもへの接し方 を学生の内に経験できることは、将来大きな力となる。
2. 奪われる日常生活 ー 車上生活を強いられた中学生
この章では、学習支援教室に通う中学生へのインタビューを紹介している。
彼(以下A君)は、中学2年生になってもローマ字が書けない。
その理由として、父親の多重債務により、1年半もの間、全国各地を転々としてきたことが挙げられる。
その当時の生活は悲惨で、食事は1日1食。カップラーメンだけで過ごす日も多かったようだ。
僕がA君のインタビューを読んで感じたことは、
子どもは無力で、大人(親)の影響を直に受けてしまう存在
ということだ。
大人になる前に「普通」を失い、「普通」に憧れるA君は、大きなハンデを抱えている。
彼が慣れ親しんでいる生活からは、その上の生活、つまり普通の生活をリアルにイメージできない。
それは、モザンビークでも同様だ。農村地域に住む住民には、都会の生活がリアルに感じられない。
イメージの沸かない世界にまで自分を持っていくことは、難しい。
特に貧困の場合、それにより選択肢が制限される(例:塾や私立へ通えない)可能性が高いので、這い上がるのは困難だ。
結局のところ、子どもの貧困の根っこにあるのは親の貧困だ。
学習支援教室の必要性もさることながら、根本の問題である「親の貧困」へアプローチする支援も重要だろう。
3. 学校現場の限界 ー教員へのアンケートから
筆者が定時制高校への教員へとったアンケートから、現場のリアルが感じ取れる。
まず、子どもの貧困を教員が感じたエピソードとして、
・ペットボトルを買うお金がないため、冷水機の水を水筒に入れて飲んでいる
・入浴を毎日することができない
・学校の給食が、栄養価のある唯一の食事であるという生徒もいる
といった回答があった。
給食を頼りにしている生徒は、夏休みの間どうするんだろう。
休み明けにげっそりして登校してくるケースもあるという。
3.1. 高校の授業料無償化
2010年4月から、高校授業料無償化制度が作られた。
これは、
・公立高校の授業料は国が負担
・私立高校でも、「高等学校等就学支援金」として一定額を支給
という制度だ。
※2014年度から制度が変わり、名称も「高等学校等就学支援金制度」となった
□参考
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この制度は貧困家庭を支える素晴らしいものだと思えるが、現実問題、これだけではサポートが不足してるようだ。
授業料の負担がなくなっても、他の費用(給食費、教材費、交通費等)は依然存在する。
それが払えない家庭の子どもは、高校に通えず、中卒で働きに出されるかもしれないし、昼間アルバイトをして夜間学校に通う、という状況に強いられる。
4. 始まった教育と福祉の連携 ー スクールソーシャルワーカーの取り組み
スクールソーシャルワーカー、という職業をご存知だろうか。
僕は知らなかった。
子どもの家庭環境による問題に対処するため、児童相談所と連携したり、教員を支援したりする福祉の専門家。原則、社会福祉士か精神保健福祉士などの資格が必要だが、教員OBもいる。非常勤で教育委員会などに配置され、派遣されるケースが多い。
スクールソーシャルワーカーは、地域に根づき、子どもと長期的に向き合うことができるのが強みだ。
学校の先生だと期限が決まっているので、そうはいかない。
2015年の段階で、全国に2,000人程度のソーシャルワーカーしかいない。
相対的貧困者が年々増加している現在、今後益々必要とされる職業だと思う。
1人でどれだけの子どもをカバーできるのか、自由度の高い職場環境が確保されているのかなど、スクールソーシャルワーカーに対する興味が沸いた。
5. 終わりに
筆者が巻末に書いているように、子どもの貧困は、見えにくい。
6人に1人が相対的貧困者という、決して小さい問題ではないのに、見えにくい。
それは、触れにくい問題だから、という理由もある。
子どもの貧困を報じるとなると、子どもやその親のプライバシーを侵害する可能性もあるし、
そっとしておいてほしい彼らを傷つける可能性もある。
それでもまずは、「子どもの貧困」が日本に存在することを直視すべき、というのが僕の考えだ。
目を背けても、事態は変わらない。むしろ統計では年々子どもの貧困率は増加しているので、無視してたら悪化する。
冒頭でも述べたように、アクションに移せるかどうかは、興味を持つことから始まる。
いきなり問題を解決するメンバーになる必要はない。
まずは問題を知り、状況を理解してみる。
始めはそれぐらいでいい。
今回は以上です。